国立のスターバックスと、バスのあの子たち

 

高校時代を過ごした国立に、手話で接客を行うスターバックスができたと聞いた。率直に、「国立という街ならあり得る」と思った。

 

国立。

国分寺」と「立川」の間という、なんともつまらない名前の由来を持つ、小さな市だ。東京のやや西側にある。読み方は「くにたち」。全国的には別に有名でもない街だろう。しかし国立は芸能人が住んでいると噂されるほどの高級住宅地だ。駅前のスーパーは「紀伊國屋」だし、私立小も多い。学園都市と呼ばれ、小中高大と多くの学校が立ち並ぶ街である。道を歩けば、見えるはずのない「気品」があふれる。

そういう街だからこそ、手話のスターバックスは何の抵抗もなく受け入れられるはずだと直感した。

 

国立駅から谷保駅に伸びる一本の道を「大学通り」という。春は桜、冬はイルミネーションの美しい通り。その大学通りを通るバスに毎日乗り、学校に向かっていた。

バスの中はいつも人でいっぱいだった。サラリーマンはもちろん、キャリアウーマンらしき人、ギターを背負った学生の姿も多く見た。私はバスの一番運転席側の少し高い席に座ることが多かったから、たくさんの人の降車する場面を見てきた。

パスモをタッチしたときに「特」が表示されることがある。割引運賃の人たちだ。たいていは、障害のある人たちである。案外多くの人たちがそうして降りていくのを見て、世の中にはたくさん障害のある人たちがいることを知った。ただ、それぞれに生活があり、それぞれに日常があるだけであるから、だからといって何かが変わったわけではなかった。

おそらく終点までいつも乗っているのであろう、小学生くらいの子どもをよくみかけた。大人しい子たちだ。先に男の子が乗っていて、途中のバス停から女の子が乗ってくる。同じ学校に通う友人らしく、決まって隣に座る。同じバスの中には制服の小学生を見かけるが、その子たちとは違う学校だと分かった。その子たちのように騒がしくはなかった。それもそのはずだ。会話は手話で行われているのである。あまりじろじろ見るのも悪いと思ったが、補聴器をつけていることにも気づいた。怒った顔で激しく手話で喧嘩する姿も見た。少したって、国立からさらにバスを乗り継いだ場所にろう学校があることを知った。

バスを降車するときに、男の子のパスモがエラーを起こした日があった。バスの運転手はその子に声をかけるのだが、男の子はよく聞こえないようだった。その子の特性に気づいている自分が動くべきなのではないか、と思ったときには、女の子が音声言語で会話してトラブルを解決していった。私は驚いた。その子は少し音が聞こえるのかもしれない。勝手なことをしなくてよかった、と思った。降りた先で、少し恥ずかしそうに男の子が手話で話しかける。たぶん、御礼を言ったのだろうと思った。

数年通ううちに、私も、彼らも年をとった。いつからか彼らは隣同士には座らなくなっていた。つん、とした何となく大人びた顔つきを見ていると、少し寂しくもあった。そこからの彼らのことは、私も知らない。

 

国立のスターバックスのことは、様々なインターネットメディアで目にしていたが、しばらく足を運ぶことはなかった。「コロナ禍」と呼ばれ、「自粛」が叫ばれる時代だからである。しばらくたった夏に、偶然国立を訪れる用事があったので、別に喉は乾いていなかったが入ってみることにした。

明るい雰囲気。「STARBUCKS」の文字が、指文字であらわしてある。なんだかよく分からないが、アーティスティックで大胆な壁画もあった。皆がマスクをつける時代だが、店員は口元が見えるようなデザインのものをつけている。耳の不自由な人にとって、口の動きが重要であることを知っている。

喉は乾いていない。しかも、このあと自転車に乗って移動するのだ。少し悩んで、外でも飲めそうな一番小さいサイズの、アイスシトラスティーにしようと決めた。

注文をしようと立つ。笑顔の店員さんが、メニューを指さす。「わたしは耳が聞こえません」。私は大げさに頷いた。OKサインなんかも出して、少し調子に乗った。別にそんなことをする必要はなかった。

まずは、店内で飲むか、持ち帰りかを尋ねられる。もちろん、持ち帰りを指さした。袋や入れ物の確認を指ですませ、注文をこなす。何も問題ない。耳が聞こえないことなど、何も問題ではないのだ。むしろ注文は一般の店舗よりも簡単で、スムーズだったと感じた。その注文を、厨房のスタッフに手話で伝達する。少し年上のベテラン風の店員だ。てきぱきした動きに、しばらく見とれていた。

店員がショーケースを指さし、「一緒にスイーツはいかがですか」と案内される。接客中のさりげない勧誘だ。できるだけ失礼にならないようにと思いながら、笑顔で手を真横に振って「大丈夫です」といった。

品を受け取る。帰り際に手話で話しかけられた。私は手話を少しだけ知っていたから、それが「ありがとう」だと分かった。少しはにかみながら、同じ「ありがとう」を返した。

なんだか晴れやかな気持ちになった。地球環境対策で変わってしまった紙ストローは本当に美味しくないが、気分は最高だった。いい時間を過ごすことができたと思った。なんとなく知った気になるのではなく、ちゃんと店に入って注文してみて良かったと思った。

シトラスティーを飲みながら、店を外側から見る。客同士も手話で会話している姿を見かけた。手話を使うのは店だけではない。手話を使う人たちの居場所になっているのだと感じた。年配の人もいれば、高校生か中学生か、という人もいた。

少し浮かれた気分で、1口程度しか飲んでいないアイスティーをかごに入れ、自転車に乗る。なれないシェアサイクルだ。電動自転車は一歩目が重たくて少々怖い。知らない道を行くので、行き先も不安定だ。でも私には最高のシトラスティーがある。店員にとっては1人の客に過ぎないだろうが、私はとても丁寧に接客してもらった気がして、嬉しい気持ちになっていたのだ。

あの子たちもあの店を訪れただろうか。いるはずのないバスの子どもたちの成長した姿を想像しながら、「サイニングストア」の発展を願った。

段差で少しつまずく。嫌な音がする。少し気分が浮ついている時は、決まってこういうことになる。私の最高のシトラスティーは、道路に吸い込まれていった。残ったのは、少しべたついたドリンク容器と、460円のレシートだった。自転車と道路を手持ちの水で洗い流し、国立を後にした。

 

2020年12月30日 記