近未来2021年

 
2020年という数字は、1990年代生まれの自分からしても、少し遠い未来だった。
東京オリンピックが2020年にやってくる、という言葉をきいても、現実味がなかった。
そんな2020年を終え、今月から2021年になった。
 
2020年は変な年だった。2月ごろから雲行きが怪しくなり、3月にはすっかり自粛モード。4月になれば緊急事態宣言と、6月まではあっという間に過ぎた。もちろんオリンピックは延期になった。オリンピックを楽しみにしていた人は多くいただろう。選手も、運営も、そして観客も。しかし衝撃的なことは、オリンピックがなくなったことがコロナの象徴になっていないことである。それはコロナ禍が収束していないことはもちろんだが、それ以上に人々の日常が壊れてしまったからなのかもしれない。言葉を選ばずに言えば、オリンピックの心配ができるような余裕のある人はいないのだ。
オリンピックが中止になったのは、1944年第二次世界大戦中のイギリスで行われる予定だったものが最後。日本は1940年の東京(夏)、札幌(冬)を返上した過去がある。理由はもちろん、戦争だった。
今の状況を考えると、世界中から日本に人を集めることは難しく、ましてや感染の中心地である東京で行うというリスクを考え、行うことができない方向に進むのではないかと思っている。放映権の問題など、いろいろあるかもしれないが、それどころではないという雰囲気がある。
 
2020年下半期はGOTOが開始したり(それが悪手だったかどうかはさておき)、学校がある意味普通に開かれていたりして、ふんわりと日常を取り戻したような空気があった。個人的にも前に進むことができた。ちょっとだけ明るくなったような、光が差したような気分は、11月ごろから陰りを見せ、12月に全て消え去った。
 
12月末のある日、東京の感染者数は1300人に達したと報道された。4桁になったことはそれはショックなことであるが、前日から500人以上増えているということの方が衝撃ではなかったか。4月に毎日日記に数を記していた時から、すっかりコロナのある生活に慣れ、数を気に留めなくなっていた。それは、自分の気が緩んだからではないと信じたい。その日その日の数が、そこまで意味を持つものではないと思うようになったからである。
 
コロナショックは、間違いなく教科書に載るだろうと思った。リーマンショックよりも経済的ダメージを受けているというところから、政治経済の分野には必ず登場するとふんでいた。最近では、歴史の教科書にも載るような気がしてきた。
 
安易にこの状況を戦争と重ねることはしたくない。ただ、コロナ禍にも日常があるように、戦時下にも日常があった。毎日ラジオから流れる戦局を伝える放送に耳を傾けた人が居れば、またいつものことかと流していた人もいたはずだ。国の行く末や世界の行く末を案じながらも、自分の明日の生活を悲観した人はもっと多くいいたはずだ。目先の学校や仕事の有無を気にしなかった人はいなかっただろう。そうした意味で、過去にもっと真摯に向き合う必要があると思う。
 
ある政治学者が、コロナ禍における日本の政治の動きを受けて、「日本が戦争に負けた理由が分かる」とコメントした。これに賛同したとみなされるのはいささか躊躇いがあるが、その真意は分かるような気がした。
 
また緊急事態宣言が出るかもしれないという。そう、今は「緊急事態」なのである。
感染も怖いが、何よりもこの宣言によってより経済が落ち込み、世の中が疲弊するのが容易に予想できる。たぶん、自分の仕事もしばらくは休みになってしまうだろうが、あの時もらえていた保障が続くとも限らない。病気以外の理由で命を落とす人が多くなると思う。私も、そうなるかもしれない。
 
「2021年は明るい年にしたいですね」
 
ほとんど届かなくなった年賀状に、何度も記された言葉だ。
私も切にそう願っている。
でもそんな日が訪れない可能性もあるのだ。
 
絶望しないために、空を見上げた。
 
2021年1月4日 記